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陸平貝塚公園(おかだいらかいづかこうえん) 2012/09/08  茨城県稲敷郡美浦村土浦2359
発掘調査の見学会にいく。 陸平貝塚公園には、縄文遺跡「陸平貝塚」と「美浦村文化財センター(陸平研究所)」がある。案内図。

美浦村文化財センター(陸平研究所)

陸平貝塚周辺の縄文時代遺跡。

縄文時代中期前葉。文様がすばらしく思える。

縄文時代後期

展示室内

双口土器(そうこうどき) 縄文時代後期 複製・・・・何に使用したものか??   ・・・・・本物は東京大学にある?

貝層の剥ぎ取り断面

佐々木さんも宿泊した旧川岸屋旅館の壁に描かれていた土器文様。 いたずらがきか、頼まれて書いたものか?

太陽とか、草とか、波とかをかいたものか?  よくかけていると思います。



発掘調査見学会  文化財センタより発掘現場に。







D貝塚の東部とE貝塚に接する台地上に、トレンチとよばれる調査区が7か所設けられていた。手前の水は、湧水によりたまったらしい。少し掘ると水が出てくる。周りに高いものはないのに不思議だ。

縄文時代早期の貝層。

ハマグリ、ハイガイ、マガキが見られるとのせつめいがありましたが、写真の貝の種類は・・・わたしにはわからない。

復元竪穴住居。

陸平A貝塚 佐々木さんと飯島さんが発掘調査したところに近いと思われる。木や草が多く、ちょっと貝などどこにあるかわからなかった。少し、涼しくなったらよくわかるかもしれない。

陸平D貝塚 足元に貝がいっぱい。 貝を踏まないと歩けない状態でした。







ぶくぶく水・・・なぜか湧水がおおい。

里山交流館

里山ゾーン

美浦正調俚謡発祥の地安中(みほせいちょうりようはっしょうのち あんじゅう)

陸平貝塚は、日本屈指の規模を誇る縄文時代の貝塚遺跡。縄文時代は、霞ヶ浦に浮かぶ島、島状の台地だった。
面積約3万m2の台地を取り囲む斜面に残された貝塚群。縄文時代早期(約7,000年前)から後期(約3,500年前)のもの。
1879年、東京大学の学生だった佐々木忠二郎(ささきちゅうじろう)と飯島魁(いいじまいさお)のふたりにより、発掘調査された。
日本人だけによる近代科学的な発掘調査が初めて行なわれた。日本で最初の発掘調査は、東京大森の大森貝塚で、アメリカ人モースさんにより行われた。
佐々木さんと飯島さんは、モースさんの教え子。なぜ、陸平で、発掘をおこなったのか? 東京から近いからか?  明治時代の学生さんは「偉い」。
なお、もともと陸平の名前ではなく、岡平という地名だったらしい。二人の学生さんが「陸平」と変えてしまったようだ。しかし、岡よりも陸のほうがよいように思う。
霞ヶ浦に平らな台地がある・・・陸平そのものに思える。
美浦村文化財センターの皆様には、いろいろと教えていただきました。ありがとうございました。昼食まで御馳走していただきました。感謝であります。
美浦正調俚謡について
文化財センター正門脇に顕彰碑があった。ちょっと、遺跡とは、関係ないようでしたが、気になりました。
帰ってから、自宅で少し調べてみました。7+7+7+5の26文字でうたを読むようです。
考え過ぎず、自然体で、思い浮かんだことばを使い、思いでや経験を感情豊かに表現する・・・らしい。
昭和の初めより、日和吟社(ひよりぎんしゃ)により、現在も多くの方が活動されておられるようです。
「厳し世相に 負けておれぬ 住んで良かった 村づくり」「縄文まつりの かかり火落ちて 酔いに傾く 北斗星」「陸平も 俚謡も 郷土の誇り 美浦に息づく文化の芽」
縄文遺跡や文化財を誇りに思う詠み人の想いを感じます。